飢えている人がいます。
でもそれは、パンがないためではありません。
愛、思いやりへの飢え、だれかの「自分」でありたいという思いがみたされない飢えなのです。
裸の人もいます。服がないということではありません。
見ず知らずということだけで、やさしい心づかいをしめしてもらえないという意味で裸なのです。
でも、それらの人びとに話すことはできるだけ少なくしましょう。
説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。
ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。。
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狭い路地を何度も曲がって歩きました。
私がショックだったのは、酔っ払った中年の男の人が路上に倒れているのに、誰も手をさしのべる人がいなかったことです
「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。
この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。」
「カルカッタやその他の土地に比べれば、貧しさの度合いは違います。
また、日本には貧しい人は少ないでしょう。」
「でも、一人でもいたら、その人はなぜ倒れ、なぜ救われず、その人に日本人は手をさしのべないのでしょうか。
その人が飲んだくれだから!
でも、彼もわたしたちも兄弟です。
本人はきっと孤独でしょう。
みなから無視されての……。
やけ酒かもしれません。」
「私は、短い間しか日本に滞在しないので手を貸してあげるのは、せんえつだと思い、何もしませんでしたが、もし、女の人が路上に倒れていたらその場で、語りかけたり、助けていたと思います。
豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。
だれからも必要とされず、だれからも愛されていないという心の貧しさ。
物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しいことだと思います。
日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。」
マザー テレサ
保護されたボロボロのシーズー