眠れない一夜

昨日は一睡もできなかったです。
どうしてかというと
テレビのドキュメント番組を見ていたから。


一本目は中国にある日中友好楼という場所の話。 残留孤児を育ててくれた中国のお父さん お母さんが日本人の寄付で立てられたアパート 日中友好楼に今は6人が身を寄せ合って日本に行ってしまった子供を待ち続けている。アパートを寄付した日本人が他界してからは家賃や光熱費も取り立てられる生活を強いられている。

ある人は日本の警官お腹をけられて自分の子供を流産し ある人は日本人の孤児を拾って夫婦で育てようと決心したときに日本兵に夫を殺され、、。

日本人の子供を育てているという非難 差別にも負けずに熱い愛情で育て上げてくれた彼ら。 今はわずかな年金だけがたより 病気になっても中国の医療制度では一回1万の費用が自己負担になる。そんな彼らを日本で自立することが出来ずに苦しみながら見守る育ててもらっていた日本人の女性。 日本では言葉も解らず仕事もなく生活保護を受けている。 どんなに日本に来たことを後悔していることだろう。友達も出来ず隣近所とも付き合いが出来ない。ごみにする野菜を拾って食事の足しにしていた。
母親の重病を知らされ貯金をはたき親戚に借金をして10日間だけ母親の元に戻った。中国に居る間は日本からの生活保護は打ち切られる。

 今度いつくるの  と娘に問いかける重病の腎臓病をかかえた母親の涙


このサイトでもっと詳しく書いてくれてます。
junhara's blog
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もう一本は日本で難民になる方法 という番組だった。
難民として日本にパスポートを持たず入ってきた彼らを待ち構える入管の厳しい構造
日本人の弁護士 ボランティアも沢山助けようとして頑張ってる姿も映し出された。
でも本当に彼らが真実の難民かどうかを証明することは極めて困難。

なぜ? なぜ?
毎月一回入管に申請をし日本での滞在を許されるか審議される。
どんなに恐ろしい毎日を送っているのだろう。
結婚もし 子供も居るのに ある日急に
こうやって締め付けて保険にも入れず仕事も禁止され
何もかも奪われたら 苦しくて犯罪に走ってしまうのではない??

国連の人が最後にコメントしていたけれど
 日本人は難民に対しての意識が低いのではないか。
本当の彼らの苦しみをわかっていない。  

 ここに一つの詩を載せたい

いつ、どこにいても、愛する人に花を贈ることができる未来を
第22回口頭弁論(結審)最終意見陳述


シェイダ


尊敬すべき裁判所の皆様、ここにお集まり下さった皆様に、ご挨拶申し上げます。

3年を越える歳月を、私は待ち続けました。
そしてついに、裁判官のご判断をうかがうことができる日が、やってこようとしています。
この長きにわたった年月の間、私の祖国、イラン・イスラーム共和国の体制、
人間をうち砕き、死に至らしめる機械のようなその体制には、
いささかの改革も見出すことはできませんでした。

裁判長殿。
私たちが生きるこの時代には、人権に関わる問題は、
いつも政治的な思惑によって、様々な圧力をかけられてしまいます。
真実は、現在世界を動かしている政治権力に都合のよいことしか明らかにされず、
人々に知らされることはありません。
人権に関わる問題は、既成のものの考え方を揺るがさない限りにおいてしか、
正当なものとして扱われません。
さらに、人々の心が既成のものの見方、考え方に捉えられ、
それを当然のものとして受け入れていることが、このような現代世界の政治のありかたを、
さらに強固なものとしています。
世界の国々は、人権のためと称して、豪華なホテルの洒落た部屋の中で会議を開いています。
しかし、そこで彼らがやっているのは、人権問題の重さを
自国の経済的・政治的利益に都合がよいように変更し、
第三世界と名づけて作り上げられた地獄がどれほど人権を遵守しているのか、
高みから点数をつけることだけなのです。

裁判長殿。
イランでは、同性愛者たちが生きてゆくことのできる環境は、
法的にも、社会的にも、これまで存在したことはありませんでしたし、
今もなお、存在しません。
日本の法務省はその書面で、テヘランにある「ダーネシュジュー公園」という公園について、
「イランの同性愛者たちが集まる場所だ」と指摘しましたが、
いまやこの公園は、イスラーム寺院の公園へと変えられようとしています。
それ以前にも、この公園は、同性愛者ではなく、
イスラーム革命防衛隊、革命委員会の兵士たちが集まる場所でした。
イランにある、ほかの大きな公園でも、今ではイスラーム寺院が建設されつつあります。

裁判長殿。
同性愛者を処刑する法律は、私たちイランの同性愛者たちの首に押しつけられた刃であり、
私たちは、毎秒のように、その刃が今にもこのうなじに
振り下ろされるのではないかと怯えながら
生きてゆくことを強いられています。
同性愛者たちが健全に生活をすることができる環境はまったく存在せず、
社会は同性愛者たちと向き合い、話しあおうという意志も持ちません。
もっとも近しい人たちにすら、私が誰で、どのように感じているのかを、
うち明けることが出来ないのです。このような場所で生きている私たちに対して、
なぜあなた方は言うことができるのですか、
イラン人同性愛者は、難民ではない、と。

裁判長殿。
イランのイスラーム体制に対する抵抗組織で活動するということは、
拷問と死刑の危険にさらされるということを意味します。
何千人という政治犯が大量虐殺されているのをご覧になれば、
それはすぐにおわかりになるでしょう。
よろしければ、あなたご自身でイランにいらしてみて下さい。
あの国に入国したまさにその瞬間、おわかりになるはずです。
イランでは、不安を抱くことなく、ただ気楽に通りを歩くということすらできません。
イスラーム革命防衛隊、風紀監視隊、民衆動員軍、
警察、革命警備隊などが絶えずパトロールしており、
イランをまるで巨大な牢獄のようにしているのです。
まさにそれは、サルバドール・ダリが描いた、空想の城壁のようです。
どんな場所でも、ちょっとした片隅にさえも、牢獄の壁があり、看守が立っています。
そして、個人の生活のもっとも些細な部分にさえ、介入してこようとするのです。

裁判長殿。
1951年に発せられた難民条約の第1条で、難民は、
次のような人間であると定義されています。
「難民とは、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員であること、
および政治的意見により、
十分に理由のある迫害の恐れを有するため、国籍国の外におり、
国籍国の保護を受けることができない、
もしくは保護を受けることを望まない者である。」 
この条項に従えば、同性愛者であり、
そしてイラン人の同性愛者人権擁護団体「ホーマン:イラン同性愛者人権擁護グループ」 の
活動家である私は、難民に他なりません。難民として認められることは、私の権利なのです。

裁判長殿。
誰でも人間であるなら、生まれながらに人を愛し、
自分の意志に従って生きる権利を持ち、
そのすべをそれぞれの人生の中で、自然に学んでゆくものです。
しかし私は、母国において、この人間の基本的な権利さえ与えられず、
どのように愛し、生きればよいのかを、考えることさえも許されていませんでした。
私は願っています、裁判所の判決が、
恐怖も不安もなく、自由に生き、自由に愛することを学ぶ権利を、
私に与えて下さることを。
私は願っています、私の裁判の判決が、未来のための第一歩となることを。
その未来とは、
あらゆる人が、誰に対しても、どのような場所においても、
愛する人が欲しいと思う花を贈ることができるような未来。
花を贈られた人が、世界のどこにいようと、微笑んでお礼を言うことができるような未来。
そして、その時、その微笑は、その人の一番美しい微笑であるという、
そのような未来です。
自らの意志によって生き方を決めることができ、投獄や死の恐怖に怯えることもない、
そのような未来です。

私が今日ここで最後の意見陳述をする時間を与えて下さったことに、
心より感謝いたします。
そして、ここに集まって下さった方々、私の話に耳を傾けて下さったことに、
心よりお礼申し上げます。



(原文ペルシア語)




参考にしてみてください。
http://www.ref-net.org/



痛みを感じるのは本当に個人差があるから 冷静な判断力と緻密な分析力 
そしてそれに加えて豊かな想像力と相手をいたわる深い心がある
そんな才能を併せ持った若者が増えていって欲しい  お互い足りないところは
足しあって 譲り合い 許しあって、、。
by jiro_saty | 2006-02-08 10:07 | みっちゃんのツイート