投影という行為 2

今日は久しぶりに雨が降っている。 暑い中で苦しい思いをしている子たちが一安心だろうと思うとホッとする。


私自身の投影について考えてみた。
小さいときからのことを思い出してみると良く分かる。 私は人と付き合うのが不得手だったし自分を表現することも苦手だった。育った環境で言葉を使って相手のことを思いやりながら上手に気持ちを伝達することを学んでいない。甘えること、自分の弱みをさらけ出して相手の懐に入ることも不得手である。

長女であり人一倍教育熱心な母親のもとで 親の期待に答えようと常に自分の弱みを出せずに歯を食い縛っていたのだ。 歯医者さんに人よりも歯の食い縛りが強い と指摘されたりもしているのでたぶん日常的に愚痴や弱みを言えずに頑張ってしまっていたのだろう。 そんな私は周囲から強い しっかりしている と見られていた。 いつもつっぱって激しい感情をむき出しにしていた。
ハリネズミのジレンマである。



だからさみしかった。
だから誰かに甘えたかった。
大事にしてほしくて そっと抱きしめて欲しかった。

言葉でうまく表せない という不自由を感じながら成長してきた私が動物を見たときに
いつも彼らの心の声を聴くことができたのだ。

吠えること
鳴くこと じゃれること 噛むこと 拗ねること 震えること 

そういう姿を目の当たりにし彼らにとっての習性を無視した飼い方を見るたびに痛みを感じ眠れない夜があった。


どうしてなの?
どうして感じてくれないの?
彼らが(わたしが)

暑いこと
寒いこと
ひもじいこと
痛いこと
痒いこと
そして さみしいこと
つらいことを。。。

そうやって自分の気持ちを彼らに投影することで深く深く自分を感じ癒してきた。
癒しが欲しくてこの活動を続けている。
それが自分の愛護活動の上での投影だと思う。
彼らの柔らかい感触にどれだけ癒されまっすぐな瞳にどれだけ愛されてきたかと思う。
by jiro_saty | 2010-09-23 14:28 | みっちゃんのツイート