動物を見るとすぐに可哀想 可哀想 と騒いでしまう人がいます。
可哀想 という基準がかなり低い。
こんなことで? といぶかしく思う事もあり。。。。
それは本当はその方が可哀想 だと自分を思っているのです。
飼い犬を甘やかしてだめにしてしまう人たちは 自分がしてほしいこと 自分がそうやって愛されたいと思っているのです。
人はみんな投影の中で生きています。
誰かにために と思っていても 一番大事なのは自分自身です。
自分がそうしたいから
自分がそうされたいから なのであります。
動物愛護はとても難しい社会問題です。
誰でもが動物が好きだとは限らない。 自己投影で過激になる人たちも沢山いて余計に誤解を招いている。
悪質な繁殖屋たちは自分たちが放棄した動物をボランティアがなんとかするだろうと踏んでいるでしょう。
彼らの感性やモラルは普通ではない。 ありえない扱いをしても平気であるということはそういう荒れ果てた精神状態で自己投影をし金儲けの道具として生きている動物を利用しているのです。
失礼を承知で申し上げれば そんな人生しか続けていない人間の悲しい投影行為だということです。
これを取り締まるのは厳しい法律しかありません。 その惨状、その現場は一歩踏み入れた人でなければ想像できない地獄です。 放置している行政の品位、感性を疑います。
あきらめないで行動を起こすこと 行動を続けること これも自己投影です。
そういう自身でありたいから
動物愛護という名目で自身に生きる力を与えているのです。
自分の意見や考え方と違うからといって他を排除するのではなく自分の枠を広げていくこと
そして日本中の動物愛護という自己投影がまっとうに正当に自己表現を実現するまでめげないで
頑張りましょう。
どんな時も忘れてはならないのは あなたのしていることは正義ではなく 単なる自己投影であること
だから冷静に ゆっくりと深呼吸して けしてあせらないでススンデいくことです。