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このままでいいのか 動物愛護

毎日毎日 日本全国では

数え切れない数の子犬や子猫が生まれ 
そして金儲けの対象としてしか考えれられない繁殖屋が
他の国から見たら日本人が野蛮人のレッテルを張られてしまってもしかたないような扱いで命を売買している。

そんな蛇口を閉めることができないまま儚い希望をつなごうと愛護法の改正に活動家が奔走し このやる気のない政治家たちに希望をつなごうとしている。

愛護団体の面々は志の違いを受け入れることができないまま連携をとることもできず(政治家と同じだね)
自分のさみしい気持ちの投影で可哀想な犬猫を保護し続ける。(みっちゃんも含め)

本当はどうしたらもっと画期的にこのいたちごっこがかわれるのか

おりこうさんなら とっくにできることを
怠けていて
本気になってやらないのではないのか

そう思うのである。



今までみっちゃんが続けてきた活動は 自分のできることから精一杯行動を起こす であったけれど

これからは もっともっと広い考え方を持ってこの事に向かいたいと思う。


政治家が権力闘争をしている間に 私たち日本人は何かもっと別なことができるのではないだろうか。。。。

それを毎日考えるようになってきたのである。
by jiro_saty | 2010-08-30 16:24 | みっちゃんのツイート

夢の飼育当番

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みっちゃんの息子が小学生3年生のときだったと思う。

夏休みに飼育当番を手伝ったことがある。

彼はその日当番ではなかったのだが サボってこない子がいるらしく
その日もサボるのではないかと心配で一日気になっていたらしい  ついに小さな声で僕世話に行きたいとつぶやいた。


勿論 いいよ  一緒にいこうね

夏の暑い日で学校にはウサギが数匹と亀がいたと思う。

そういえばみっちゃんも同じように飼育係をしていて サボっている子の分も世話をしていた。

亀が気になり仕方なかった。
水が汚れてること
ご飯が無いこと

そんなことが気になって気になって 勉強が終わるとすぐに走っていく。

はっきり言って学校が楽しくもなんとも無い。 先生も意外と無関心で

なんだか一生懸命に世話をしている自分が哀しかった。

毎日が責任と 心配の連続で 孤独だった。


だから

それなのに10日もバケツに餌を入れっぱなしで利旅行に出かけられる人
炎天下で犬が苦しんでいても平気な人
猫の避妊をしないで生まれるたびに子猫を捨てて平気な人
6年間も殆ど飼い犬を散歩させないでも平気な人
餌を与えず餓死させてまた次の犬を飼って平気でいる人。。。。。。




きっと そういう人たちは

あの頃飼育当番をサボっても平気な生徒だったのではないだろうか。。。

そういう人には動物は育てられない。
他の家の子を触って楽しむ程度にするべきだと思う。



ちなみに息子と私は時間が過ぎていたので 学校の門を乗り越えて学校に入っていった。

それで いいと今でも思っている。

HASのヨーコちゃん 
ペッツと愉快ななかまたち

みっちゃんちに来て動物の食器を洗って というと目を輝かして

私 飼育当番が夢だったんです


ちなみに彼女はペッツと暮らせるようになるのに 数ヶ月 両親を説得し続けたそうだ。。。
どんなにそれが彼女にとっての夢だったことであろうか。

両親の許可がでたとみっちゃんに報告の電話をしながら電話口で泣いていた。
ペットショップで誰の反対にも会わずに安易に手に入れることの出来る大人たちとは大きく大きく違うのだ。



動物と暮らすのは 夢をかなえること
素敵なこと
すごい奇跡だと思うんだ 

大変だし
心配だし
自分の命の時間削るし 簡単に留守に出来ないし。

それができないなら
あきらめてほしい

世話が好きじゃない人もいていいし
それが悪いことじゃないし

自分を良く知った上で 謙虚に謙虚になってこの尊い命と向かい合ってほしい  です。 

 
by jiro_saty | 2010-08-28 00:01 | みっちゃんのツイート

<盲目ネコ>4000キロの旅 1年以上不明、NYで保護

 【ニューヨーク山科武司】昨年5月に米カリフォルニア州サンフランシスコでいなくなった盲目の黒ネコが今年7月下旬、4000キロ以上離れたニューヨーク・マンハッタンで保護され、「どうやって来たの?」と話題を呼んでいる。

 このネコ、生後3カ月でサンフランシスコの動物虐待防止協会に兄弟ネコの「ジム・ビーム」と一緒に収容され、「ジャック・ダニエル」と命名された。ウイルス性疾患で目がほとんど見えず、2匹そろって篤志家にもらわれるはずだった。だがジャック君は施設から突然消え、何者かが連れ去ったとみられていた。

 ところが7月31日、マンハッタン北部ハーレムをのんびり歩いていた野良ネコが保護され、埋め込まれたマイクロチップからジャック君と判明。詳報したサンフランシスコ・クロニクル紙は「ジャックが話せるなら、すべてを説明できるだろうが、ジャックはただ『ミャーオ』と鳴くだけだ」と伝えた。

【盲目の黒ネコがアメリカ横断?(読売新聞) 8月24日10時28分
<盲目の黒ネコ>サンフランシスコで不明に ニューヨークで発見 4000キロの旅(毎日新聞) 8月23日11時24分
盲目ネコ 4000キロの旅 1年以上不明、NYで保護[photo](毎日新聞) 8月22日22時36


盲目の猫たちには不思議な力があるのかもしれない。
みっちゃんも脱走を繰り返していた盲目の雄猫を最後まで看ていたけれど 、きちんとトイレを使い日常生活に何の不自由もしていなかったです。
by jiro_saty | 2010-08-24 17:14 | みっちゃんのツイート

追悼 みかちゃん

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この愛らしい子は2年前の正月にみっちゃんちにやってきました。

冬の冷たい中 マンションの下でうずくまっているみかちゃんを見て思わず保護してしまった人が

自分でどうしても飼う事が出来ずみっちゃんちに連れてきたのです。

正月だったけど どうしても断われず そのままみかちゃんはみっちゃんちの子になりました。


首の骨がゆがんでいたようでいつも傾げたような姿が愛らしかった。。。。


椅子に座ると一番にやってきて甘えていましたね。。



みかちゃん  安らかに。。。。

  写真は陽子チャンでした。 いつも愛してくれてありがとうね^^^
by jiro_saty | 2010-08-24 02:07 |  メモリアル

手紙 犬の代弁をしてます。

まだまだ猛暑が.続いている。


昨日犬の散歩中に風通りのない南側のお庭の一角で犬を飼育している家から偶然犬の声がした。

2年前の夏もこの家の犬が心配で自分の名前、電話番号を記入してお手紙を入れたことが或る。その時は気がつかなかったといって電話が入り玄関先に入れたということだった。
その次の年も.炎天下で犬がいるので同じように手紙を入れた。 熱中症で犬も亡くなっていること、できれば玄関先に入れてやってほしいこと、もし犬の汚れが気になるのだったらこちらで洗うことも可能であること.などなどを毎回書いている。。。。。。


私にはわからない。..

どうして自分の家の中に入れてやれないのか


どうして毛皮をきている生き物のことを思いやれないのか。。。


毎年毎年 みっちゃんは暑い中の犬達を思うと心が痛い。

もっともっと.悲惨な条件で生きている動物がいるとしても.少なくとも自分が暮らす街では改善の努力をつづけて行きたい。 無関心を許さないでいたいです。。。
by jiro_saty | 2010-08-21 14:49 | みっちゃんのツイート

ごみ屋敷でホリデー

今日はお店(グランブルー)がお休みです。



りえちゃんと望月さんの車で買出しに行きました。
それは

田無の一人暮らしの男性のお部屋の窓つくりのための買い物で。彼は2年前からHASがサポートしている一人暮らし猫30匹の男性です。

避妊をしないで飼っていたためにどんどん増えて相談時子猫を含め30匹以上の猫を飼育禁止のマンションで飼っていました。 当時は猫トイレも無く悪臭が蔓延して御近所からの苦情で管理会社からも立ち退き寸前を告知されていました。それを

みっちゃん
しゅうちゃん
りえちゃん
さちえさん
御近所のiさんで大掃除をしてのスタートでした。

今日はご近所からまだ悪臭の苦情がありでもこの暑さなので何とか小さな窓を作れないか という工作と
またまたたまったゴミの大掃除をしました。

おじさんは寂しい人なので何回言ってもゴミを拾ってきます。
衣類 靴 テレビ 鍋 フライパン。。。。

そしてその上に猫がカケションするので またまた悪臭の元になり。。。。

このイタチゴッコでありますが


なんとなく
汗だくになり 体中アンモニアの臭いになり

でも

楽しかったですね。

何とか住めるように

今出来ることをしようと 同じ気持ちの仲間がいる ということ


とても不便な場所なんで

買い出しから 送り迎えまでしてくださる望月さんがいてくれて


感謝感謝 


そして


おじさん

頑張って 生きてね  って思います。


世間からはみ出した 非常識なこの負け組みの見ず知らずのおじさんに

今のみっちゃんが出来ることをしようと思います。


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りえちゃん
望月さん 

お疲れ様でした~~~
by jiro_saty | 2010-08-18 16:01 | みっちゃんのツイート

被爆のマリア様

浦上天主堂にひっそりとおいでになるマリア様
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このお姿は被爆者の姿そのままである。

2度被爆されその生涯を原爆の語り部としてささげられた山口彊さん。 マリア様の前で訴えて居られました。
この苦しみを救うには神さまのお力が必要なのだと。。。



 広島と長崎で2度被爆した山口氏。


 目に焼き付いた二つのきのこ雲、広島から追い掛けてきたのか―。

 山口彊(93)は、入院先の長崎市内の病院で原爆の日を迎えました。

 決して忘れられることのない64年前の夏のことです。

 「広島と長崎で2度被爆し、生き残った私は、このことを伝えるのが運命。生かされている命は、私が勝手に生きているんじゃない。

 ピカ、ドンで死んだ何万人ものみたまが私を支えている」

 1945年8月6日に、造船所技師として出張していた広島で、出勤途中に爆風に吹き飛ばされ、左半身に大やけどをしました。

 「紅蓮ぐれんの炎が街中を焼き、川のおもてが見えないぐらい焼死体が流れていた」と語っています。

 においが記憶を呼び起こすため、今も焼き魚が食べられないそうです。

 広島から避難列車で8日に長崎に戻り、翌日出社したところを二つ目の原爆が襲ってきました。

 「熱線に焼かれ、爆風にもがれ、幽鬼のように逃げ惑う人たちをふるさと長崎で再び見た」とのことです。

 きのこ雲があざ笑うかのように立ち上っていました。

 今まで自身の体験を、表立って語ることは避けてきたそうです。

 「ケロイドのない、のっぺりした顔で壇上に立って何を訴えるものがあるのか」とポツリ…。

 目に見える傷が残らなかった自分が公の場に出ることで、原爆の被害が過小評価されることを恐れたのです。

 生後半年で長崎で被爆した次男が、59歳でがんで亡くなったのは4年前です。

 自分の子に先立たれ、大きなショックを受けました。「おれは何もしていないじゃないか」と…。

 原爆の悲惨さ、むごさを命懸けで伝えようと90歳を前にそう決意しました。

 二重被爆者の証言をまとめた記録映画「二重被爆」に出演し、2006年にニューヨークの国連本部であった上映会に足を運び、核廃絶を訴えました。

 今春、長崎市は山口さんの申請を受け、被爆者健康手帳の「被爆の場所」欄に広島の地名を書き加えています。

 長崎と広島の地名が並び、二重被爆が「公式認定」されたとのニュースは海外メディアにも取り上げられました。

 「非核平和 永久とわに護まもらす 神あらば 青き地球は 亡ほろびざるべし」

 山口さんが詠んだ歌です



現在もアメリカでは高校生に原爆投下は正しい判断だと教えているといいます。 

真実でしょうか?
原爆で人を殺す行為に正しい という判断はありえるのでしょうか?・・

ノーといえるのは日本人だけ。

落とされたことのある国 日本だけなのです。
だから

知らない世代の我々は頑張って学びます。

未だに隠されていること

もっともっとあるはずです。

憎しみや非難ではなく 同じ地球の仲間として一緒に考えていけるよう若い世代を育てたいです。












[
by jiro_saty | 2010-08-15 23:04 | みっちゃんのツイート

明日で53歳です。


20代で まだ息子が小さかったとき 生活に追われ困窮していた頃 みっちゃんは息子をしかってばかりでした。 小さなことでもどなったりしていた。 今もその頃のこと 鮮明に覚えています。
そんなある日 お隣に住んでいた70代の旦那さんが叱ってる私に声をかけてくれました。 ピンポーンを押してくれ私が出ると(いつも挨拶をする顔見知りの方で同じ階に住んでいました) どうしたの? と優しい声で聞いてくれました。 子供はそんなに叱って育てるもんじゃないよ って一言。。。。

はっとしました。

小さな声ですいません  というのがやっとでした。。。


あの時 声をかけてもらえなかったら 私はまだ毎日息子にあたっていたでしょう。 恐ろしいことです。

虐待してしまったかもしれない。 それに近い精神状態だったのです。

おとなりさんは とても優しい声でニコニコしながら私を見てくれました。 咎めるのではなく 抱きしめてくれたのです。 大丈夫 大丈夫ってね。


あれから25年以上たちました。
HASと一緒に息子が育ち 彼がいなければ私はHASも仕事も頑張れなかった。

ハッピーバスデー

大事な息子を生んで頑張って育てたみっちゃん

お誕生 おめでとう
良く頑張った   


そして 

ママ

私を生んでくれて ありがとう


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写真は先日開店したA ROOMでカットしてもらったペッツ君。
あゆみちゃん かなり凄腕ですぞ^^^
by jiro_saty | 2010-08-11 22:27 | みっちゃんのツイート

届かぬ叫び 読売新聞より

届かぬ叫び  1
 両手縛られ消えた命
 親の虐待があとを絶たない。命を失う子どもや、深刻な後遺症を一生背負う子どももいる。悲痛な訴えは、なぜ届かないのだろうか。
                  ◇
 母(34)から寝る場所として命じられたのは硬くて冷たい浴槽だった。縦横の幅は約80㌢。1月の夜、外の気温は気温は0度に近く、体も伸ばせない。「私、さみしいの」。福岡県久留米市の江頭萌音(えがしらもね)ちゃん(死亡当時5歳)は、母のいる寝室に向かって小さい声でこう訴えた。
 この頃、保育職員は「玄関やトイレで寝かされた」という萌音ちゃんの言葉に驚き、市に通報。これを受けた児童相談所は「緊急性なし」と判断し、母との面談で対応をとどめていた。萌音ちゃんは今年6月、母に両手を金属製棚に縛りつけられた上、リュックサックに2個に(計約7㌔)をそれぞれ背と腹に抱えさせられ、苦しさから自ら棚に背や腹を打ちつけ、心臓を損傷して亡くなった。県警の捜査で判明した虐待は、これだけではない。口に粘着テープ、手足を縛られ、洗濯機内に数時間放置された。 ふたを閉じて回されたこともあった。
警察庁のまとめでは 今年上半期に摘発された事件だけで、18人の子供が親たちの虐待で死亡した。先日30日には大阪のマンション一室に放置された3歳と1歳の姉弟が寄り添うように亡くなっているのが見つかった。
虐待を防ごうという市民の意識は高まっている。地域などからの通報を受けて、全国の児童相談所が動いたのは去年度4万4210件で、2000年度の約2,5倍になった。

今年1月に両親の暴行で亡くなった江戸川区の岡本海渡君7歳の祖母はその20日前、遊びに来た海渡君と一緒に風呂に入り、背中や肩に点々と残るかさぶたに気づいた。継父が手を上げたのかと疑い、海渡君に尋ねたが黙りこんだまま。「おばあちゃん 泣かないで」と逆に慰められたという。
実は祖母よりも約4ヶ月早く、海渡君を診察した歯科医が体の傷に気付いていた。区への通報は小学校、児相にも伝えられた。学校側が継父を訪ねたが 「2度と殴らない」という言葉を信じ込んだという

他にも 虐待を行政が把握していながら「母親に改善の意思がある」と判断し児相で一時保護した寺本夏美ちゃん5歳(母に出ていけと言われ7キロあるいて祖母の家に来ている) は母親に戻され4ヵ月後脳機能障害で命を落とした。

「65%」

03年7月から昨年3月にかけて児童虐待で死亡した312例のうち203例は行政がかかわっていたことが厚生労働省の調査で判明している。

  「謝れ 謝れ」
埼玉県蕨市の木造アパートでは07年夏、新藤力人ちゃん 4歳が両親に怒鳴られる声が響き、通報を受けた市や自相が強制保護を検討しているうちに飢餓状態に陥った。翌年2月力人ちゃんが亡くなった。壁越しに聞こえた力人ちゃんの声は隣人女性の耳に今でも残っている。 
 「僕にお水をください」

 「お前にやる水は無い」 水を求めた力人ちゃんに母親は怒鳴り返した。 読売新聞にこう証言した女性は2007年夏市役所や警察に対し複数回にわたって 「虐待の疑いがある」と通報したという。 力人ちゃんはその半年後に亡くなった。

市や児童相談所。県警蕨署は06年5月から約1年8ヶ月、力人ちゃんと4歳上の兄の保護について計13回協議した。児童福祉法に基づき、2年間に綿って児童福祉施設に入所させることのできる「強制保護」を検討しさいたま家裁とも相談したが、目立った外傷が確認されず、虐待の明確な証拠がないとして踏み切れずにいた。亡くなった時、力人ちゃんの体重は約10キロ。同じ年の男児の平均よりも6キロも少なかった。力人ちゃんの死についてさいたま地検は「虐待の因果関係があるとまではいえない」としたが起訴状によると、十分な食事を与えなかったため前年末から歩くのも困難な状態になっていたという。

深刻な虐待が行われている可能性が高いにもかかわらず親が児相職員らに対し子供を会わせない場合などは「強制保護」に踏み切ることが可能で 09年までの10年間では1443件実施されている。 しかし虐待の実態や親の監護能力などについて厳密な要件がある。
このため法務省と厚生労働省は現在、早期に子供を守りたいとして、児童福祉法の改正などを検討している。


児童虐待や親権問題に詳しい磯谷弁護士は「強制的な入所は親の親権を制限することにつながるため行政は過度に慎重になる傾向がある。緊急性があると判断できるのであれば却下を恐れず積極的に実行する必要がある」と指摘している。


みっちゃんは思います。
虐待する親は 尋常ではない精神状態にあり簡単には改善できない。自分自身が愛せない環境で育ってしまった人間がすぐに子供の親にはなれない。 自分のされたことを子供にすることで自分の奥にある恨みを晴らそうと そうやって痛みを癒そうと必死になる。
いまさら生んだ親を恨んだり憎んでも仕方ないことだけど でも どうやってそれを乗り越えていいか 誰も教えてはくれない。 自分で頑張って なんとかクリアできる人もいるけれど 出来ない人間が多いのだと思う。

もう大丈夫 小さな子供を愛せるようになったから 子供を戻そう。。。。
本当にそういいきれますか??
しがみついた幼い手を離すにはあまりにココロモトナイとは思いませんか???


その親に責任を持たせ親権を尊重していけるのなら解決は早いでしょう。
でも
普通はしないような行為をしてるにはもう その時点でサインを出しているのです。


子育てできないサイン
自分をもてあましてるサイン
愛情が理解できないサイン
そして自身も虐待を経験した というサイン。。。。
押し込んでやっとやっと生きていた というあまりに幼稚で幼いサインなのです。


そんなサインを見逃さない 警察であり児童相談所であり そして近所であり

もっといえば専門家を増やしてケアをする必要があるのです。


誰だって最初から簡単に自分のことを認められるわけじゃない。
お母さんに抱きしめてもらって
愛情一杯で育つことのほうが稀だったりするんだから。

正論をかまして机上の空論
虐待する親を責めるだけでは駄目なのです。 冷静に見て ネグレクトが虐待であると理解できないような関係者がいない、想像力の欠如した専門家がいない そんなスペシャリストを持ってこの現場にあたってほしいと深く祈ります。


亡くなられた幼い命に 合掌。。。。
by jiro_saty | 2010-08-10 10:58 | 昔の記事 事件などなど

パトカーに乗った黒猫



ある日 みっちゃんの携帯が鳴り自宅マンションの下に手紙と一緒にケージに入った黒猫が捨ててある という相談が来ました。
炎天下だったので室内に入れたのであるが飼うことはできない という相談者。
手紙には同じ黒猫を飼っていると人伝えに聞いたのでお願いしたい という内容だという。。。



いったい誰が 黒猫を飼っているから もう一匹 なんて発想ができるのか とんとかいもくけんとうもつかず。。。

とりあえず貰い手探しをする方向で保護してくれると言われたので HASメンバーに連絡を入れながら協力することで落ち着いた。

ところがみっちゃんがグランブルーから帰宅するとメールが入っていて どうにもこうにも先住の黒猫が暴れてこれ以上無理なので警察に引き取りをお願いした というのである。


だははは

そりゃ  だめだこら


メールに気がついたのも遅かったので どうかな。。と思いながら

もう警察来ましたか? とメールすると

まだです。 今待っているところです。

というので

私が引き受けます とお返事しました。


すぐに警察が来たらしくみっちゃんの携帯が鳴り めでたく黒猫ちゃんはパトカーに乗って
我が家においでになりました。 


もうちょっとみんな自分の行動に責任もちましょうや。。。
by jiro_saty | 2010-08-09 15:42 | レスキュー編