被爆のマリア様

浦上天主堂にひっそりとおいでになるマリア様
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このお姿は被爆者の姿そのままである。

2度被爆されその生涯を原爆の語り部としてささげられた山口彊さん。 マリア様の前で訴えて居られました。
この苦しみを救うには神さまのお力が必要なのだと。。。



 広島と長崎で2度被爆した山口氏。


 目に焼き付いた二つのきのこ雲、広島から追い掛けてきたのか―。

 山口彊(93)は、入院先の長崎市内の病院で原爆の日を迎えました。

 決して忘れられることのない64年前の夏のことです。

 「広島と長崎で2度被爆し、生き残った私は、このことを伝えるのが運命。生かされている命は、私が勝手に生きているんじゃない。

 ピカ、ドンで死んだ何万人ものみたまが私を支えている」

 1945年8月6日に、造船所技師として出張していた広島で、出勤途中に爆風に吹き飛ばされ、左半身に大やけどをしました。

 「紅蓮ぐれんの炎が街中を焼き、川のおもてが見えないぐらい焼死体が流れていた」と語っています。

 においが記憶を呼び起こすため、今も焼き魚が食べられないそうです。

 広島から避難列車で8日に長崎に戻り、翌日出社したところを二つ目の原爆が襲ってきました。

 「熱線に焼かれ、爆風にもがれ、幽鬼のように逃げ惑う人たちをふるさと長崎で再び見た」とのことです。

 きのこ雲があざ笑うかのように立ち上っていました。

 今まで自身の体験を、表立って語ることは避けてきたそうです。

 「ケロイドのない、のっぺりした顔で壇上に立って何を訴えるものがあるのか」とポツリ…。

 目に見える傷が残らなかった自分が公の場に出ることで、原爆の被害が過小評価されることを恐れたのです。

 生後半年で長崎で被爆した次男が、59歳でがんで亡くなったのは4年前です。

 自分の子に先立たれ、大きなショックを受けました。「おれは何もしていないじゃないか」と…。

 原爆の悲惨さ、むごさを命懸けで伝えようと90歳を前にそう決意しました。

 二重被爆者の証言をまとめた記録映画「二重被爆」に出演し、2006年にニューヨークの国連本部であった上映会に足を運び、核廃絶を訴えました。

 今春、長崎市は山口さんの申請を受け、被爆者健康手帳の「被爆の場所」欄に広島の地名を書き加えています。

 長崎と広島の地名が並び、二重被爆が「公式認定」されたとのニュースは海外メディアにも取り上げられました。

 「非核平和 永久とわに護まもらす 神あらば 青き地球は 亡ほろびざるべし」

 山口さんが詠んだ歌です



現在もアメリカでは高校生に原爆投下は正しい判断だと教えているといいます。 

真実でしょうか?
原爆で人を殺す行為に正しい という判断はありえるのでしょうか?・・

ノーといえるのは日本人だけ。

落とされたことのある国 日本だけなのです。
だから

知らない世代の我々は頑張って学びます。

未だに隠されていること

もっともっとあるはずです。

憎しみや非難ではなく 同じ地球の仲間として一緒に考えていけるよう若い世代を育てたいです。












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by jiro_saty | 2010-08-15 23:04 | みっちゃんのツイート