背中の子 1 

27歳でHASを立ち上げたとき みっちゃんには2歳にまだならない男の子がいました。
目黒区の八雲で生まれた子をかかえ生活に困窮したみっちゃんはその当時すでに家族として迎え入れていた猫、碑文谷公園で捕獲して避妊し元の公園に戻せなかったサアラちゃんとご近所で出会ったヨネコちゃん(大家さんが避妊をしないで増やしていたうちの一匹の猫)2匹とそして夫とともにみっちゃんが3歳のときに本郷から移り住んだ東久留米に戻ってきていたのでした。生活は破綻していてそれでもなお夢を追い求めていた夫との亀裂はどんどん広がる一方でありました。でも心のどこかで幼いわが子を育てるのに八雲よりもよりやさしい町として故郷は映りました。


実のところ八雲では、みっちゃんはご近所でのいじめ(結構壮絶で今なら笑える)にあっていてその頃お友達付き合いしていた藤田さんという奥様から強く引越しを勧められていました。 このままではみっちゃんが自殺してしまう と彼女は本気で心配してくれていたのです。電話で話す友人もいない 一日中誰とも話さず会話といえばご近所主婦2人組みの心無い言葉の暴力(私の子供のしつけ 叩かないことへの批判、我が家の出す音への苦情、生活パターンへの批判などを中庭で大きな声で聞こえよがしになさる)がほとんどでありました。 何度か窓をあけて「なんでしょう? 何か問題があればおっしゃってくださいな」 と言い放ちたい衝動がありましたがとても勇気がありませんでした。今でもグループ化して人を攻撃する無記名暴力に恐怖を感じます。たった一人 外に連れ出せない弱い子供をかかえて話す友人も夫との会話もなくなったみっちゃんは本当にあの頃を思うと身がすくむような思いです。 猫の捕獲も避妊もそんな中で誰にも相談する相手もなく電話帳だけが頼りでした。 勿論ネットはまだまだ出現もしていませんでした。


夫は妻のテリトリーで暮らすことが養子のような気分になる と引越しには反対でしたが私たち夫婦二人とももう精神的にも経済的にも追い詰められてにっちもさっちも行かない という所に来ていました。 2歳になったばかりの我が子はとても病弱でひと月に何度も40度以上の高熱を出していました。その子供を簡単に保育園に入れて働くことの決心がつかないことが夫の強い不満を買ったのでした。 でもそれが私には出来なかった。 どうしても3歳までは手元において見守ってやりたい 大事に大事に育ててやりたい と思いました。

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by jiro_saty | 2010-07-10 16:51 | みっちゃんのツイート